この件は今年1月のことになります。
最初は一つ目に書いたすれ違いの後、ライブハウスで大声で呼び出されて寒空の下ずっと相手の話しを聞き続けるという状態でした。
「それって出禁てこと?」
彼の話しを聞いて何度も確認したけど、
「出禁にはしたくない」
と言ってました。
意味がわからなかったけど、それよりも落胆するほどの彼の私や周りのせいにする内容に言葉が出なくなってしまった。
「考えてまた言いたいことがあったらメッセージくれればいいから」
そこから対バンライブには行くことにしたけど、(もちろん最初は怖かった)
そこで少しでも彼の本質に辿りつけたらなって気持ちで明るく振舞ってました。
無論それは自分の最大の強がりです。
平気なフリをすることで自分を保っていた。
でもそのうち、もう側にはいられないけど頑張ってほしいってあたたかい気持ちが戻ってきた。
やっぱり元々そういう気持ちでライブ見てきてたから。
その中でどうしても響かなかった曲のことを一ヶ月以上必死に考えていた。
私が居る日、彼がMCでその曲の意味を話していたからだ。
分からないままでは何を話していいのか分からなくてメッセージなんてとんでもじゃないけど悩んでできなかった。
ある時今度やろうねって約束してたアコースティックイベントを彼が企画した。
行くつもりないから安心してって気持ちと、頑張ってねって気持ちで一言だけ「楽しんでね」とやっとメッセージを送ってみました。
そしたら話した時とは全く違う内容の長文のDMが返ってきました。
それは一方的で脅迫のような強い内容でした。
ライブ見てることも会場を歩いてることも悪意だ!と。
「言ってたことと話しがかわっている」とだけ返信して
怖いのと、ショックなのと、訳がわからなくなって信頼してる友人に話しを聞いてもらっていました。
そしたらすぐにあのブログが....
彼は影響力もあるしこれはもう半名指し。
そこへのコメントも全て見させてもらいました。
一方的な解釈に共感の声やその当事者への罵倒さまざま。
SNS命を絶つ人の気持ちがやっとわかった。
ありもしないことや勝手な解釈で、あたかもそれだけが正義のような言葉たち。
突発的に命を絶つこと考えました。
そこから周りのサポートでなんとか考え方を変えていくことができた。
そして一つだけ辞めないでいたこと、
それが音楽を嫌いになることと、ライブに行く足を止めること。
自分のことは自分が一番分かっている。
私のことを分かっている人も分かってる。
私が一度辞めるともう終わりなことを。
誰のライブに行っていいか分からなかった。
もう人を信じるのが怖くなっていたから。
今までのライブを思い出して、この人ならこの人の音楽ならという方のライブに足を向け続けました。
そしてその中で私に力をくれる人にも居ました。
この内容を知ってるかのような彼目線のメッセージを放つ人も居ました。
そして周りのファンの人の私に対する反応もさまざまでした。
そんなのが辛くなる時も、無理してた時もあった。
楽しむ努力をしてる時もあった。
彼に見られてる時はとくに。強がっていました。
そんな中あるアーティストを目的に行っていた時、
彼のスタッフさんから話しかけられました。
彼の出番の時は輪から離れて座って次のお目当てまで待機してました。
「見るなって言われてますよね」
経緯を説明しても「彼はそういう人だから仕方ない」
アーティストはそんなに偉いんですか「私は言われたから言ってるだけなんで」 の一点張り。
お目当てのライブも見れなくなってしまい。
「ここに来るのに遠くから電車に乗ってどんな気持ちで来てるか分かりますか?」
「私も今日電車で来てますから笑」
「それ、仕事じゃなくてもしますか?」
「それは、、しませんけど」
「じゃあ分からないですね」
さらに、
「このままだと今のアーティストさんにも迷惑かけることになりますよ。それでもいいんですか」
「彼も対バンは仕方ないと言ってるけど見ないでください」
とのことでした。
これはここだけの話しではありません。
私のこと何も知らない人が、気持ちを考える気もない人が次々とSNS以外でもこの件で責めてきてました。
その後のライブハウスの対バンも別のお目当てのスリーマンライブも行くことすらさせてもらえませんでした。
見なければ対バンはいいはずなのに。
彼が言ってるから仕方ないの一点張り。
もう他のアーティストさんも他のファンの人と同じようには好きでいることできないんだって落ち込みました。
そして何より理解ができなかったのが、
視界に入らないようにと言っていた彼の方が他のアーティストのライブ中や私がうろうろ待機している時も近づいてきたりこちらを見て来たり私の視界に入り込むような場所に来たりしてたことです。
私はダメだけど、自分はいいんだ。
今回の件以外でも毎回そうなのですが、
自分はいいけど、自分は悪気はない。
相手は悪意がある、許せない。
これはアーティストだからなのか、彼がそういう人だから仕方ないのか分からない。
でも今回の事で身に染みて理解しました。
惚れたもん負けとはこのことかと。
アーティストにとってはファンはいくらでも替えがきく。手放してもまた新規が来ればいい。
嫌なことあるなら合わせられないなら何年ファンだっただろうが来なくていい。辞めていい。
アーティストからの言葉は全てアートだ。
それで一喜一憂するのはおかしい。
好きなら全て肯定するはず、それで傷ついたり落ち込んだりするのは自分のことが嫌いだからだ。
彼が数々のブログやSNSであれから書いていた言葉達で理解しました。
でも私にはそれは誰へでもはできません。
仲間や周りの人達のこと雑に扱う言葉や行動をしててもそうだねいいねなんて肯定できない。
傷つく発言や態度をされたら落ち込む。
素直な気持ちじゃなくなったりした時投げやりに悪い部分が出ちゃうことも分かってる。
でも同じように嬉しい時も楽しい時も感動するのも全部それは、私には替えのきかない存在だからです。
アーティストは山のように存在するしイベントも沢山ある。
でもその中で選ぶほど尊いと思えるようになる事は、一度の人生の中で何度もある事ではないのです。
そこまで行動へ移せる人に出逢うことは簡単ではないのです。
ファンにとっての好きはアーティストさんにとっての「好き」とは想像できないくらいのものなのです。
それを軽視されたり疑われたり馬鹿にされると素直になるのも難しいです。
今年一年悩んで迷って考えて私にとって何を一番大切にしていたいかがやっと出ました。
悔しいからとか傷つきたくないからとか相手が自分のことどう思ってるかで揺らぐような想いなら嘘だ。
くだらないプライドは捨てる。
でした。
悔しさもアンフェアも怒りもある。
でもそれを全部捨てた時残ったもの、
人のせいにしてせいせい出来るならその全てを受け入れてもいいくらい好き
結局また嫌いにはなれなかった。
それが素直な気持ちでした。
話しを聞いて寄り添ってくれてありがとう。
悩みや不安を聞いてくれてありがとう。
気にかけて声かけてくれてありがとう。
一緒に泣いてくれてありがとう。
今までと態度変えることなく接してくれてありがとう。
分かろうとしてくれてありがとう。
それでも彼を嫌わないでいてくれてありがとう。
一人ぼっちになった気分だったけど、顔を上げる理由をくれてありがとう。
今年一年言ってたこと全部やってくれてたのも知ってます。
理想になりたくないってわりに都合いいなとは思うけど、彼なりに分かろうとしてくれていたと受け取ります。
夢を叶えた時の笑顔が見たい。
それが私が心の底から笑顔になれる瞬間だったので。
受け取った人がどう思うかだけが正解。と言ってましたから。